昭和39年 東京オリンピック、創立30年という記念の年の快挙

春秋完全優勝

昭和40年卒

森田武雄

創立30年となる昭和39年(1961年)は、私の大学生活最後の年であった。当時を振り返り、充実した1年間を日記帳、新聞のスクラップ、明大スポーツの発刊した体育会誌から再現してみたい。

練習開始

1月10日12時に合宿所集合。翌日より朝練も開始する。多摩川の橋を目安に渡り切ると優勝、手前で戻ると勝てないというジンクス を守り、毎朝橋を越えて戻ってくる。

春季化合宿

2月20日~3月31日まで実施。例年1ヶ月合宿が恒例であったが、我々は実現しなかったが第1回の韓国遠征を計画し、40日合宿とした。新4年生19名、3年生6名、2年生12名の37名の参加者となる。 我々の同級生19名は、OB会名簿を見ても最大数ではなかろうか。指導者としては阿部、風間、岩室、大島、阿久津、波山先輩が参加してくれた。 3月17日、笠原先生がルーマニアから帰国され、合宿に入られた。

第14回東日本学生王座決定戦

5月9日、10日、青山レスリング会館。例年秋に開催される試合が、東京オリンピックの関係で逆になった。 1回戦 慶応大10-1、2回戦 農大11-0、準決勝 日大5-4で勝ち進む。 日大との対戦が事実上の決勝戦であったが、3年生の活躍により接戦を制した。決勝戦は専修大に10-0で快勝する。以上の結果8年ぶり4 度目の優勝を飾る。

国民体育大会

6月7日~11日、新潟県。優勝者はフリーフェザー級・ 森田武帳、ライトへビー級・青海上、グレコローマンウェルター級・宗村宗ニ、ミドル級・渡辺保夫、ヘビー級・杉山値治。

ソ連バルカン遠征

5月17日~6月25日。コーチ・多原茂、フリー・斉藤 昌典、阿部一男、グレコローマン・大橋紀夫、風間貞夫、波山竜美。

全日本学生王座決定戦

7月1日、関大体育館、明大11-0関大で圧勝する。 試合前には名古屋、岐阜、大阪を転戦し、各地でOBの方々に熱い歓迎 を受ける。

夏季化合宿

7月30日~8月18日、生田合宿所。例年学校を離れて合宿を行っていたが、何もかも東京オリンピックの年ということで例外の開催となった。

全日本選手権菜オリンピック最終予選会

8月21日~25日、駒沢体育館。各 級の優勝者は、フリーウェルター級・渡辺保夫、ヘビー級・斉藤昌典、 グレコライト級・宗村宗二、ウェルター級・風間夫、ミドル級・波山 竜美、ヘビー級・斉藤昌典。

全日本学生選手権大会

9月11日~13日、青山レスリング会館。優勝者はフリーフェザー級・森田武雄、グレコローマンライト級・宗村宗二

第18回東京オリンピック

10月10日~14日、駒沢体育館。フリーウェルタ 一級5位に渡辺保夫。風間貞夫、杉山恒治、斉藤昌典が出場 関東大学リーグ戦10月24日~11月22日、青山レスリング会館。明大9-2 早大、明大9-2專大、明大8-2法大、明大6-3中大 明大4-4日大 (内容勝)。

事実上の決勝戦となったが、日刊スポーツによれば、笠原皮監督は「みんなよくやってくれたが、主将の森田が中心になってよくリードしてくれた」と言った。森田はオリンピック代表選考に当たっては、アニマル渡辺段武(中大州)の後になり、その存在は忘れられた形だった。 しかし、渡辺がいなかったら当然代表に選ばれていたはずである。その地味な努力家キャプテンを中心に重量級でグレコローマンのワザが抜群の宗村と、五輪代表の斉藤が渡辺とガッチリ肩を組んだ。どたん場で逆転に成功し、薄氷の勝利を収めたのは、最後まで試合を捨てないチーム ワークのよさにあったのだろう。 「日大はフライ級に金メダルの吉田、ミドル級に佐々木(五輪5位)、それに福田、阿部、伊藤と5人の図場抜けた選手を持っている。しかし、ほかは穴だらけだった。それに比べうちは、ツプで日大にかなわないが、軽量級の弱点を重量級でカバーするムラのなさがあった」 ※原監督は日大と比べ“和”のよさをこう説明した。森田主将は「4年生はともかく河内(1年)、宗村、渡辺、板橋(以上3年)ら下級生が伸びてくれたから、それに肋骨を痛めながらがんばった池田 (前年の世界選手権2位)もよくやった」と言った。だから前半3-0とリードされても「必ず盛り返す自身があった」そうだ。それに渡辺(ウエルター級)斉藤 (ヘビー級)の二人が五輪代表になったことも、全員の士気を高めるのに役立った。 春の王座決定戦に続き日大、中大を破ってリーグ戦で優勝したのは、実に2年ぶりだが、ともあれ明人の勝利は“利の勝利といってよい。 (11月22日“日刊スポーツより”明大9-1日体大) 我々は日体大戦を最後に1年間を終了したが、東京オリンピックの年、創立30年という記念すべき年に、春秋完全優勝の結果を残すことができた。しかし、全日本学生対抗グレコローマン選手権大会が開催されず、我々は三冠王の夢を砕かれた。山方や大石、高樹、菅野、宗村、藤井、斉藤とグレコの専門家を多数有する本学にとっては、先輩達が成し遂げた 3連勝の記録をどうしても引き伸ばしたかった。1年間を振り返り、我々が立派な成を残すことができたのは、52名という大部隊が結束し、個人個人が自分の役割を果たした結果であり、これが春秋完全優勝に結びついた。また、阿部先輩をはじめ、多くの先輩がよく道場に出向いて指導に当たってくれた。自分達の努力もさることながら、多くのOBの協力に心より感謝したい。