◆隆盛(1953~1967)– category –
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昭和42年 笠原先生も喜んだ「困難と苦境を乗り越えての優勝」
「レスリング部」の新たな伝統と発展に向かって 昭和43年卒 金澤 徳信 明治大学レスリング部創立70周年。 誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。 レスリング部70年の伝統は、日本または世界を代表する選手を育てた 指導者と、彼らを夢見て... -
昭和41年 父親の喜んでくれる顔を見るのが楽しみだった
思い出話の尽きない4年に一度の同期会 昭和42年卒 新荘建彦 昭和38年4月に入学したレスリング部員は、柏崎(秋田県)、遠藤(宮城県)、天野(大阪府)、育藤・長谷川・藤井・八木・益本・新荘(山口県)、細沢・石橋(広島県)、殿村(福岡県)の12人です... -
昭和40年 今の仕事に生かされた当時のマネージャー業
我が楽しき青春時代 昭和41年卒 今道卓 昨年夏以降、犬の散歩にかこつけて早朝の散歩を開始した。この半年でようやく3kgの成品。しかし、現役時代の減量には及びもしない。 さて、タイムスリップをして40年前の私はと言うと、1月の高校期末テストの後、生... -
昭和39年 東京オリンピック、創立30年という記念の年の快挙
春秋完全優勝 昭和40年卒 森田武雄 創立30年となる昭和39年(1961年)は、私の大学生活最後の年であった。当時を振り返り、充実した1年間を日記帳、新聞のスクラップ、明大スポーツの発刊した体育会誌から再現してみたい。 練習開始 1月10日12時に合宿所集合... -
昭和38年 私たちの人生観の原点はあの大学4年間にあった
励みになった同級生の団結力 昭和39年卒 成本 暉 明治大学体育会レスリング部創立70周年記念史へ、同期生を代表して 寄稿するにあたり、とてつもない責任を感じてなりません。4年前に突然亡くなってしまった我々のリーダー「波山竜美」君の無念さを思うと... -
昭和37年 部員全員が張りつめていた中大との戦い
多くのメダリストを育てた青山レスリング会館 昭和38年卒 若林 益吉 多くのOBは、それぞれの活躍した時期の戦歴や思い出を書くことと思いますので、視点を変えて港区北青山にあった青山レスリング会館にっ いて書きます。 いつ、どなたの尽力で建てられた... -
昭和36年 オリンピック大会で勝つ事ほどむすかしい事はない
東京五輪と日本レスリング会の今後 昭和36年 監督 笠原 茂 ローマ大会に継いで1964年、主催国東京で開催が決定して以来、日常でオリンピックという言葉を耳にしない日がないほどだが、国を上げての体制が未だ整えられていない状態である。世界各国のスポ... -
昭和35年 異国で聴いた「君が代」に感激いっぱい忘れられない世界青年友好スポーツ大会での優勝
忘れられない世界青年友好スポーツ大会での優勝 昭和36年卒 石沢二郎 昭和32年、私が目指す明治大学への入学を許され、はるばる新潟から上京してから40数年の歳月が流れました。その間ずっと私は、伝統ある明治大学レスリング部の一員として生活して来ま... -
昭和34年 朝日を背に立つ八海山を見た時にこみ上げた口惜しさ
劣等部員強化合宿の記 昭和35年卒 渡辺四朗(旧姓外川) 私は1956年(昭和31年)2月18日に、川崎市生田の合宿所に入るため、新潟県立長岡高校同期の山口哲平君と二人で上京しました。上野駅では高水春雄、斎藤博文両先輩が迎えて下さいました。途中、「腹は空... -
昭和33年 当時の思い出話も後輩にとってはお伽話か夢物語
今まで見たこともない極彩色のご飯にびっくり 昭和34年卒 高木春雄 昭和30年2月初旬、越後長岡から4人の熱血漢が移動証面明を懐に上野駅に降りた。そこに待ち受けていたのは、憧れの明治大学レスリング部の先輩3人。ただ「ご苦労」の言! まずは山手線で...
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