忘れられない世界青年友好スポーツ大会での優勝
昭和36年卒
石沢二郎
昭和32年、私が目指す明治大学への入学を許され、はるばる新潟から上京してから40数年の歳月が流れました。その間ずっと私は、伝統ある明治大学レスリング部の一員として生活して来ましたが、何と言っても一番印象に残っているのは、1年時のモスクワ遠征のことでしょう。
入学したばかりで西も東もわからない私は、日本代表選考会で優勝した時も、まるっきり本当のことと思えず、高校時代から夢みた海外遠征に行くのだとは、どうしても考えられませんでした。その当時はモスクワヘ行くことが大変な時代でした。けれどもブレザーコートの寸法をとったり、洋式生活の注意を聞いたり、結団式が行われたりと、またたく間に準備期間は過ぎていき、奇しくも故郷の新潟から船に乗った時に初めて、「ああどこか遠いところへ行くんだなあ」という気がしたものでした。この船は、ソ連船のアレクサンドル・モジャイスキー号で、世界青年平和友好祭に参加する各界代表も乗っていました。我々はナホトカに上陸してから、ハバロスクまでシベリア鉄道で行き、そこからは飛行機でチタ、イルクーツク経由でモスクワヘ行くことになりました。
この間、生まれて初めて乗った飛行機、ナホトカ港に集まった歓迎の群集の姿など、一生忘れられない思い出が数多くありますが、モスクワヘ着いて1週間たってから見物した平和友好祭の開会式ほど、私の心を打ったものはありませんでした。世界中から集まった何万という人たちをモスクワ市民が迎え、口々に「平和と友情のために」と叫ぶ姿を見て、これだけの人々の熱意があれば決して再び戦争は起こるまいと思えたものでした。
この世界青年友好スポーツ大会に、我が明治大学レスリング部からは矢田良彦、諏訪一三、高水春雄諸先輩方と私の4人が参加しました。結果はフライ級で諏訪先輩、バンタム緻では小生も優勝し、金メダルを獲得することができました。異国で「君が代」を聴き、日の丸を見ていると、それまでの減量の苦しみやつらかった練習のことなどすべて忘れ、ただただ感激でいっぱいでした。今でも思い出して忘れることができません。
そして、笠原先生からは基礎技術をしっかりと叩き込まれ、自分自身にまず勝つこと、苦しい減量に耐えて試合に参加することの大切さを教えていただきました。そして、十分な練習を課されることで精神力の強さと自信がつき、体力も日々のトレーニングによって向上し、目的意識をもって練習することで集中力が高まることも修得しました。この4年間のレスリング生活を通じて社会人としての素養を培うことができ、私の人生において大いに役立っています。ここにお世話になった先輩諸氏、並びに同志に心から感謝を申し上げたいと思います。
〈昭和35年度最上級生部員〉
阿部正男 (フライ級)
小林淳二 (フライ級)
佐竹賢三 (フライ級)
篠原敬二郎(フライ級)
石沢二郎 (バンタム級)
大橋弘次 (バンタム級)
田村英司 (バンタム級)
神谷文二 (フェザー級)
千葉明男 (フェザー級)
岡田健治 (フェザー級)
藤木善次 (フェザー級)
宮川 弘 (フェザー級)
石賀 恵 (ライト級)
長谷川保夫(ライト級)
星名 明 (ウェルター級)
青海 上 (ミドル級)