明治大学レスリング部80年のあゆみ

◆明治大学で24番目に誕生したレスリング部

昭和8年、伊集院浩氏が松田滋夫(初代主将)、井手温良、渡辺海三(2代目主将)の両氏及び柔道部員数名を早大レスリング部道場に通わせ、技術を会得し翌昭和9年にレスリング研究会として発足させた。顧問には小柴為三氏,コーチはハワイから招いた遠山勲氏があたった。
昭和1 1年正式にレスリング部と改称し、大学の承認を得た。初代部長として西村文太郎氏が就任した。
ついで昭和1 6年佐々木吉郎氏が部長に就任、昭和44年までその任に当り、多大な貢献を果たしている。ついで昭和4 5年から昭和4 8年まで皆河宗一氏が部長に就任、昭和4 9年から昭和5 9年までは水谷光壮氏が就任,昭和6 0年から平成2年に笠原茂氏が就任,平成3年より山田庫平氏が就任し平成1 7年より千葉貴律氏が現在に至っている。
初代監督には,永谷光壮氏が昭和1 6年から昭和3 2年まで就任し,部の指導に力をそそいだ。昭和3 3年から昭和5 6年まで笠原茂氏が就任、昭和5 7年から平成1 6年まで田部井茂 氏が就任,笠原 田部井監督は2 0年以上の多岐(物心両面)に渡り,部の指導に力をそそいだ。平成1 年より山村健氏が就任し、平成20年より岩山喜代司氏が就任し現在に至っている。
部の主な競技歴として、昭和1 3年から昭和1 6年まで関東大学リーグ戦で6連覇、戦後再開した東日本学生リーグ戦に1 3回の優勝を勝ちとっている。また、全日本学生王座決定戦は優勝5回、個人戦の競技成績においては、第1 0回ロサンゼルスオリンピックで河野芳雄(フ リーフェザー級)氏が参加(創部前)、第1 1回ベルリンオリンピックでは吉岡秀市(グレコ フェザー級)氏が参加、水谷光壮(フリーフェザー級)氏6位と入賞、ヘルシンキオリンピックでは、富永利三郎(フリーフェザー級)氏が5位、霜鳥武雄(フリーライト級〉氏が6位に入賞、第
1 6回メルボルンオリンピックでは、笠原茂(フリーライト級)氏銀メダル、飯塚実(フリーバンタム級)氏が5位に入賞、第1 7回ローマオリンピックでは、阿部一男(フリーライト級)氏、青海上(グレコ ミドル級)氏、石倉俊太(グレコ ライトヘビー級)氏が参加、第1 8回東京オリンピックでは、渡辺保夫(フリーウェルター級)氏が5位、プロレスラーとして活躍した斉藤昌典(フリーヘビー級〉氏、風間貞夫(グレコ ウェルター級)氏、プロレスラー 実業家として活躍した杉山恒治(グレコ ヘビー級)氏が各々参加、第1 9回メキシコオリンピックでは、宗村宗二(グレコ ライト級)氏が我が部初の金メダルを獲得、第20回ミュンヘンオリンピックでは、柳田英明(フリー5 7kg級)氏が金メダル獲得、和田喜久夫(フリー6 8 kg級)氏が大学在学中に銀メダルを獲得し活躍した。第22回モスクワオリンピックでは,多賀恒雄(フリー6 2
kg級)氏、宮原章(フリー6 8 kg級)氏の両氏は、日本不参加のため幻の代表選手となった。また、宮原章氏は、初の学生選手権四連覇の偉業を達成している。
その後,全日本学生選手権及び全日本大学選手権大会、世界学生選手権大会、アジアジュニ ア選手権にて活躍する者が多数いるが、近年では,新興大学の隆起に伴い、戦国時代の様相を呈している。今後更なる精進を重ね、「古豪復活」を目指し、OB会及び首脳陣の力を結集させ、輝かしい戦歴と伝統を築き上げていきたい。

今回は、次の区分にしたがい「明治大学レスリング部のあゆみ」について紹介する。

◆黎明(1934~1943)
◆復興(1946~1952)
◆隆盛(1953~1967)
◆隆盛(1968~1974)
◆奮戦(1975~1980)
◆再興(1981~1988)
◆再興(1989~1995)
◆新生(1996~2002)
◆挑戦(2003~2007)
◆挑戦(2008~2012)
◆各期代表からのメッセージ
◆特別寄稿「逆境を乗り越えて」
◆歴代部長・監督