昭和40年 今の仕事に生かされた当時のマネージャー業

我が楽しき青春時代

昭和41年卒

今道卓

昨年夏以降、犬の散歩にかこつけて早朝の散歩を開始した。この半年でようやく3kgの成品。しかし、現役時代の減量には及びもしない。 さて、タイムスリップをして40年前の私はと言うと、1月の高校期末テストの後、生田の合宿所に泊めてもらい入学試験に取り組む。高校の卒業式には帰れそうもない。

入学が決まった。今日は3月31日。明日はクラブの歓迎会。今日までが高校生扱いで、明日は1年生扱いになる。白井先輩が明日から厳しく するぞといって酒(焼酎)を飲ませてくれた。

4月1日、本日は雨。野外での歓迎会が出来ないため、道場のビニールマットの上での酒宴となった。上級生は酒、ウイスキー、ビール、1年生の前には酒(合成酒)が一人1本(1)割り当てられていた。今日は大変だ。宴の後、1年生の我々は、酔っ払ってグロッキー。しかし、明日はこの道場で練習だ。掃除は当然1年生の仕事。窓をあけ、ビニールマットの雑巾がけ。

レギュラーが決まり、リーグ戦の準備が始まった、私は川先輩の付 る人。練習の後、先紙について新宿歌舞伎町へ。遊びに行くのではない、新宿トルコ(大衆サウナ)で今日も減量だ。

蒸し風呂(当時はサウナではなく蒸気風呂)の中でマッサージ。「先、すいません、ちょっとトイレに』。出した汗の分の水分を、外で補給して戻る。またマッサージの続き。しかし、噴出してくる汗は止まらない。 とたんに挙間がゴン。ああ、ばれていた。

今日は午後の授業。急に休講になった。道場に行かなくては。しかし、 日がわいて体調が今ひとつ。よし、渋谷で画にしよう。夜消面、先維に「成分で何をしてたのだ」と。「ええ!」と私。顔が北つ前に。「何だ、ホントに渋谷で遊んでたのか」と、また挙間がゴン。

フランス語の単位が心配だ。体操部のO君と角瓶1本下げて、夜と教 袋の自宅を訪問。教授「よく来た。強い方が良、弱い方が可だ」。持っていった角瓶はすでになく、数拶の家のブランデーまで飲ませてもらい、もちろん二人とも単位はOK。

2年生の春のリーグ戦が終わった。今日は日曜日。練習も休み。岩上先輩、自井先輩が「今道、今日は俺たちに付き合え」。私「ハイ」。何のことはない。朝から晩まで、座布団の上で花札勝負。昼飯、晩飯はチキンラーメンでした。

2年生の前期終了後、親父から速達が届く。教務課から親父宛の手紙が入っており、そこには「このままでは留年もありえる」と。「もう少し 真面目にやれ!」」という、親父の声が聞こえた。 3年生でサブマネージャー、4年生でマネージャー。この仕事のひとつに「推薦書」書き及び教授へのお願い訪問があった。「右のもの当部の有力選手のため、試合・合宿・遠征等、母校のため頑張っています。なにとぞ単位についてはご配慮を」。このときの仕事が、今の仕事に生かされています(現在、生命保険会社勤務)。

4年生。前年までの王座決定戦は、関東関西の代表校の2校で決めていた。今年は学連委員長として、駒沢体育館を借り切って全国の大学を集め、トーナメント王座決定戦を行うことにした。明治は順当に勝ち上がった。決勝。日大と4・4・3引分。計量数で敗れる。残念無念。 3年生から取っていたゼミが、4年生のときに土曜日の午後に変更された。春・秋のリーグ戦、その他いろいろな試合が土日に計画されている。ゼミの出席は無理だ。困った。教務課に相談。教務課日く4単位の授業で単位をとれ。なんと論文を書かずに卒業しちゃった。 「はい、今道卓は明治大学体育会レスリング部卒業です」