東京五輪と日本レスリング会の今後
昭和36年
監督 笠原 茂
ローマ大会に継いで1964年、主催国東京で開催が決定して以来、日常でオリンピックという言葉を耳にしない日がないほどだが、国を上げての体制が未だ整えられていない状態である。世界各国のスポーツ団体の役員並びに選手は、すでにローマ大会以来「東京」を合言葉にスタートを切り、そして猛練習に励んでいるかと思うと、日本の指導者並びに選手は1日たりとも油断を許されない状態にある。
負けた選手の中には「オリンピック大会は参加することに意義あり」と理屈を言う者もいるが、実際にオリンピック大会で勝つ事ほど難しいことはないのは言うまでもない。しかしながら日本レスリング界では、戦後オリンピック大会以来金メダル3個、銀メダル3個と著しい成果を築き上げて来た。選手層もかなり厚くなり、日本レスリング界は世界強国と比肩し恐れられたことは事実であるが、ローマ大会の仇打ちを東京でと意欲を燃やさずにはいられない。そしてトルコ、ソ連、イラン、アメリカを敵にして、日本国民の前で勝たねばならない。これが日本レスリング界の宿命であり、いわゆる角番に立たされていることを知る必要がある。
まず根本から叩き直さなければならないと痛感する。戦後民主主義のはき違いから来る時代の流れと共に、レスリングの為に長年先輩諸氏が築き上げてきた練習の強さや方法が無視され、そして破壊され、軽いトレーニング、楽な練習へと走る傾向にあり、過去のスパルタ式訓練が取りはずされている。どの競技でも同じであるが、スパルタ式訓練に科学的トレーニングを加味しなければならない。特に格闘競技であるレスリングはなおさらである。そしてソ連の投技、米国のスピード、トルコの根性、イランのずるさを徹底的に研究し、マスターすることに主眼をおけば、上位4ヶ国を打破することは難かしくはない。
先日の横浜の世界選手権に負けたとはいえ、フリースタイル、グレコローマンスタイルのフェザー級試合に勝てば1位、負ければ4位という場面で惜しくも敗れたのも、技術ではなく、練習から生れ出る根性と、勇敢に戦うという心構えが欠けていたからである。この多くの苦い経験を積み重ね、東京オリンピック大会を目標に、レスリング界は前進することを欲してやまない。
主催国である以上、国の名誉にかけてもメインポールに日の丸を揚げるんだと自分に言い聞かせ、黙々と練習に精進してもらいたい。また、本学からも数多くのオリンピック選手か出場し、立派な成果を上げられることを願っている。
《明大スポーツ新聞より転載》
〈昭和36年度最上級生部員〉
高橋照夫(フライ級)
浜本一哉(フライ級)
岩岡昭雄(フライ級)
小礒晴彦(バンタム級)
宮本輝夫(バンタム級)
金井 賢(フェザー級)
藤田嘉雄(フェザー級)
山西 樹(フェザー級)
倉田勝美(ライト級)
堀川哲男(ライト級)