昭和42年 笠原先生も喜んだ「困難と苦境を乗り越えての優勝」

「レスリング部」の新たな伝統と発展に向かって

昭和43年卒

金澤 徳信

明治大学レスリング部創立70周年。 誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。 レスリング部70年の伝統は、日本または世界を代表する選手を育てた 指導者と、彼らを夢見て入部した学生によって生まれたと思います。 戦争の続く時代の中で、レスリングをこよなく愛し、レスリング部を創部された先輩に敬意を表します。 1964年(昭和39年)、アジアではじめてとなる、第18回東京オリンピックが開催される年に、全国から、鈴木(秋田県)、安西・及川(宮城県)、古俣(新潟県)、複木(長野県)、小島(群馬県)、岩上・服部・山田(東京都)、河内(愛知県)、多管(富山県)、金…(京都府)、高橋・西村(大阪府)、大西(山口県)の15名が、あこがれの明治大学レスリング部に入部しました。 入部当初は、希望・好奇心・気迫に満ちあふれた日々でありましたが、 1ヶ月もしないうちにあっさりと打ち砕かれました。勿論、練習は技術・パワー・カと格差があり、雑用が多く言葉で表現出来ない程、厳しいものであります。又、上級生は強い選手が多く、「苦楽を共にする」という言葉がありますが、当時は「苦」の1年間でありました。同期は歯をくいしばり、未来を見つめて頑張ったと思います。 弱いといわれていた学年でありましたが、昭和42年、4年生の時の東日本学生リーグ戦で優勝するという栄光を得ました。難しいといわれながらの優勝でありましたので、感動も大きく、同期の顔を見て喜び合い、今までで一番うまい酒を飲んだことが思い起こされます。 その上、笠原先生に「幾多の困難と苦境を乗り越えての優勝」と大変喜んで頂いた事が、いまだに印象深く残っています。 この時、はじめて先輩・指導者・監督に恵まれていたと実感する事ができました。 57歳になる現在、明治大学レスリング部精神のもと、苦楽を共にした かっての同志たちの存在はかけがえのない財産となっています。 この間、ご指導頂きました先輩、笠原前監督、現在の田部井監督、多質 コーチに心から敬意を表しますとともに御礼申し上げる次第です。 最後になりましたが、これを機に明治大学レスリング部の新たな伝統 と益々の発展と更なる向上を祈念します。