やっとつかんだオリンピック切符でしたが…
昭和50年卒
宮原章
昭和46年3月8日生田のお山の住人となりました。合宿所入りしてすぐ研修と称して食事、風呂当番を仰せ付かり、上級生の実技指導の下、新生活がスタートしました。同期が当初9名、後6名となったため、どうローテーションを組んでみても、最低3日に一度は必ず当番がまわってくる有様でした。
五分刈り坊主の1年生は徒歩で永井スーパーでの買い出し、登戸郵便局の私書箱8号の開閉、夜は新集めという名目の構内での教室荒らし。 はたまた全共闘のアジトでの角材集め、とにかく燃える物は何でもせしめるという仕事が待っていました。大変な所に来てしまったと思ったものの、いやおうなしに不思議と順応できる自分達でした。 当事部員は32名。主将交替制等さまざまな難題を乗り越え、翌年は全日本学生王座で優勝できました。私が4年時の時には部員が22名まで減少したものの、少数精鋭の布陣で臨み、リーグ戦、王座とも準優勝する事ができました。私個人では、全日本学生選手権の4連覇、ユニバーシアード大会等で優勝を飾る事ができました。 卒業後は大学職員として残り、モントリオール五輪を目指す方向で考えておりましたが、折りしも大学の財政事情のため採用ならず、やむなく郷里に帰る事になりました。 高校生の指導のかたわら挑戦したものの、減量という厚い壁に泣き、最終選考会で棄権しました。その後、1年間のブランクの後、1階級あげて全日本選手権に出場。3連覇する事ができ、世界選手権でも2年連続して銀メダルを獲得できました。そうして、やっとつかんだモスクワ 五輪の切符でしたが、政治的介入があり、ボイコットという要き目にあいました。明大レスなくして語れない我が人生。五十路を迎えんとする中、笠原先生はじめ一緒に戦った仲間3人が凶界に旅立たれました。恩師、そして友を失うたび、レスラーとして共通の道を歩んで来た仲間との絆を大切にしなければと、強く感じる今日この頃です。 今後益々の明大レスリング部の御発展を御祈念申しあげます。