昭和56年 レスリングと正面から向き合っていたあの頃

もうふた昔も前のこと・・でってこがあったから、今がある

昭和57年卒

橋本 伸幸

「起床一つ」「起床一つ」「起床一つ」ドンドンドン。「失礼します。起床ーです」5階の階段を上がった踊り場で、声を嗄らしながら4つの部屋を回りました。奥はトイレになっており、その横に無造作に洗濯機が置かれてあったように思います。くたびれた2槽式の洗濯機から滴る水を目にするたびに、何か言いようもない寂しさを覚えました。昼間でも 薄暗かった部屋の二段ベッドの奥の柱に「人生六十年のうちたった一年間だ。たった一年間、頑張ればいいんだ。今は苦しくても・・。」と書かれた文字を見つけたとき、何だか元気づけられたような気になりました。 苦しいのは自分だけじゃない。そんな言葉で自分をなぐさめました。 今でも、時々当時の夢を見ることがあります。先輩の練習着が乾いてなくて焦っている自分。ごはんが焦げてしまって、どんぶりを手に呆然としている自分。食当を忘れて眠りほうけている自分。試合当日に体重が落ちていなくておろおろしている自分。いつも途中で目が覚めてホッと胸をなでおろします。20数年の月日がたっても夢に見るほど自分にとって強烈な生田合宿所の4年間だったのでしょう。久しぶりに、本箱の片隅に置いてある当時の日記帳を開いてみました。 「・・昭和五十四年十二月一日(金)晴れ 十一月二十七日、二十八日、二十九日、三十日は東日本新人戦へ向けての減量のために日記を書くことができなかった。そこで、四日間を振り返ってみる。 二十七日は小田急満員電車で参宮橋に行く。ちょうど自分が食当。五時半に起きる。300gオーバー。それで雨の中を<チンタラ坂)にランニングに行く。この日、自分の試合なし。 二十八日。この日は国上大の中村との試合。10対0で勝つことができる。二試合目は八工大の畑中。彼は第三十一回国体のグレコの優勝者。 緊張したがなんとか勝つことができた。決勝は勝崎。自信はあったのたが1ラウンドホール負け。惨め。悔しい。今まで何のために練習してきたんだ。自分に腹立たしい。 ニ十九日。この日も満員電車。イヤダー。この日は、昨日負けている双子の弟の方の勝崎と。雪写を果たすことができた。 三十日。一試合目。国上大の合。快勝することができ嬉しい。二試合目。 大東の西さん。和歌山避征ではお世話になった。6対2で辛くも逃げ切る。決勝。またしても勝が相手。1ラウンドは7対1でリードされる。 もうだめかと思ったが、3ラウンドの1分過ぎに同点に追いつき、その後リードすることができた。逃げ切りの試合が多い自分としては、今回の大会では新しい自分を発見できたように思う。諦めなくて本当によかった。・・・」 今思うとレスリングと正面から向き合っていたんだなあと思うとともに、目標を持って毎日を送っている自分を見つけることができ嬉しくなりました。学生時代は、先輩方の輝かしい栄光を傷つけまいと練習に励みました。何とかリーグ戦で1部に残ることができ、胸をなでおろした記憶があります。個人的には最後の4年生でインカレをとる事ができ満足しています。 3年前に、生田の「安ちゃん」で同期の菊池と久しぶりに酒を酌み交わしました。彼の結婚式以来20年ぶりの再会でした。細川先も昔のままでした。生田の町並みは随分変っていましたが、娘さんの智子さんに車で柔内してもらうと、昔の懐かしいないが残っているところがたくさんあり涙が出そうでした。昨年はこれも同期の黒岩を群馬の草津に訪ねました。 いつも昔を思い出しながら、日々の生活を送っているわけではありません。逆に日常の忙しさにそのころを振り返ることはほとんどありません。しかし、生田での4年間は今の自分の生き方の本質に関わる重要な時期であったことは紛れもない事実です。 その時代に共に生き、関わってくださったたくさんの方々の益々のご健勝をお祈り申し上げます。