金メダル・銀メダルの思い出
昭和45年卒
内田久徳
合宿所は、近代的な工学都校舎横の古い木造平屋の建物で、中央に上 間があり、前側にレスリング部、奥側に剣道部が入っておりました。その当時(昭和41年)でも、生活そのものが、一昔前の時代にタイムスリップしたような生活でした。毎日の掃除はもちろんの事、当番制の朝夕の食事作り、風呂たき(早朝や日曜日に新ひろい、その新にて風呂を沸かしたり、洗濯物を乾かした)、背中流し等が日常の生活でした。合宿所内には30数名の先輩がおられ、1人で2〜3人の付き人をしました。また1日置きくらいに就寝前の1年上の先輩からのミーティングも、今思えば なつかしい思い出です。 先輩方の中には、社会経験が豊かな斎藤、細沢氏をはじめ、個性的な方々が多くおられました。 1・2年時は、先輩方の活躍がすばらしく、何回となく羽田空港や東京駅にて部旗をなびかせ、エールや校歌を歌って送迎をしました。3年時には、宗村先輩のメキシコオリンピック金メダル獲得という輝かしい 活躍の反面、当部は初めてリーグ戦で2部に落ちました。また、この頃から全学連の活動が激しくなり、授業は休講が多くなりました。とうとう4年時の夏には学校閉鎖となり、全学連追い出し運動等に動いた日々でした。 夏合宿は、1年は大分、2年は新潟、3年は富山(滑川)、4年は静岡(焼津)でした。またレスリング普及のため、2週間かけて鹿児島県内の中学や高校を回ったり、初の韓国からの招待親善試合で訪韓した事など もありました。 個人的には、同期の柳田君がミュンヘンで金、後輩の和田君が銀メダルを取り、その支援や表彰式の場に立ち会えたこと、そして、彼らの好意で選手村の生活に触れられたことが良い思い出として残っています。