昭和62年 3・4年になって感じる「部を守る」というプレッシャー

忍耐と努力の4年間の人生体験

昭和63年卒

松本篤

明治大学に入学、同時に体育会レスリング部大部、地獄の合宿所生活 スタート。 1年奴隷、2年平民、3年天皇、4年神様という上下関係の中、規律は厳しく、練習・挨拶・掃除・食事当番etcがあり、特に1年時の食事当番は、今まで料理の「り」の字も知らない人間が食事を作るのだから、非常に困ったものです。当時の合宿所の食堂はゴキブリも多く、不衛生な環境の中、加工された食材は使えず、ハンバーグはひき肉を捏ね、コロッケはじゃがいもを練って作らなければなりませんでした。 ご飯はガス炊飯のため火加減が難しく、時々「恋飯」を炊いてしまい、先輩にこっぴどく叱られたものでした。あの不衛生な環境の中の食事で、誰一人として食中毒もなく、おいしく感じられたのは不思議なものです。また、一日の疲れをとる風呂は一番最後なので汚なく、湯船にはとてもつかれないほどでした。 ここに紹介したのはほんの一部分にすぎませんが、1年時は練習、私生活面共に非常に厳しく、よく逃げずにいたと思うほど過酷な1年でした。辛かった1年が過ぎ、1・2年時の先輩から言われるままと違い、 3・4年になるに従い私生活面では楽になりました。しかし、今度は部を守るという目に見えないプレッシャーを感じる毎日となり、アッという間に過ぎた4年間でしたが、学生生活に悔いを残さず過ごせたと思います。 現役を退いても諸先紙、同期、後張とは今も親しく酒を聞み交わし、当時の思い出話等で楽しんでいます。 レスリング部も70年という歴史を刻み、その中の4年間を過ごせた喜びを噛みしめながら、部が永久に存するよう、微力ながら応選していきたいと思います。