「新人類」世代されど、「明治大学レスリング部」卒業
平成2年卒
谷ヶ崎哲也
この度は「レスリング部70年史」発行、誠におめでとう御座います。 70年という歴史の中で、私が明治大学レスリング部に在籍していた時期はたった4年間でしたが、この経験がその後の自分の人生の中でこれ程 思い出深く、また一社会人となった今も、これ程役に立っている経験は無いと実感しています。 昭和61年の春、高校を卒業したばかりの私は、はじめて親元を離れ、合宿所での共同生活をする為に、先輩に連れられて生田にある合宿所を訪れました。その時あの衝撃的な合宿所を見て「こんな汚い所で4年間も共同生活するのかぁ」と恐怖にも似た不安を感じながら、狭い「穴ぐら」ベッドに自分の布団を敷いた時のことを、今でも懐かしく覚えています。 私の同期は当初4人いましたが、訳あって1名脱落。その後3人で厳しい1年生時代を乗り切りました。食事当番(食当) やタオル当番など、 1年生がやるべき仕事の順番はすぐに廻ってきてしまい、「週末の当番は誰がやるか」ということでよく揉めました。 本格的に「酒」を覚えたのもこの頃でした。監督や上級生の先輩にはよく連れて行ってもらい、顔色を窺い、気を遣いながらビクビクして飲んでいたことを覚えています。
お陰で階級は1階級(4年時までには2階級!)上がってしまいましたが、ある意味私にとってはレスリングという競技を通じて大人になっていく場所でもありました。 当時は既にバプル経済に突入していた時期で、私達の年代も「新人類」と呼ばれており、一般の学生達の中には高級外車を乗り回し、コンパや遊びに飛び回っている連中もたくさんいました。しかしそんな世間の環境とは別に、厳しい上下関係や厳しい練習に明け暮れていた私達の空間 は、一種独特であったと思います。
私は卒業後「銀行」へ就職しましたが、昨今の厳しい環境の中で力強く生きています。今の時代は厳しい上下関係など「流行らない」と言われてしまうかもしれませんが、先輩が後輩を指導し、後輩は先輩に敬意を払うという我々にとっては当たり前の図式を理解できない人がたくさんいます。しかし、私は社会に出てから13年間、これを理解していたことで随分と助けられたことも事実です。 レスリングの面では、2年生の時に患った目の病気の後遺症から、満足な成績を残すことが出来ず、悔いが残っておりますが、私にとってこの4年間は、社会に出るまでの準備段階として大変有意義な時間だった と今更ながら強く感じています。 今は部員も減少し大変な時期と聞いていますが、現役の学生にはレスリングの面でも、また一社会人としても力強く、逞しい、明治イズムを承継していって欲しいと思います。 私も「明治大学レスリング部」の卒業生として、厳しい業界の中で男 らしく堂々と、恥ずかしくない人生を送っていくつもりです。 私を育ててくれた「明治大学レスリング部」が、これからも更に発展し、80年、100年と続いていくことを祈念し、OBとして出来る限りのことをしていきたいと思います。