平成2年 この経験、出会い、一生の宝であり、誇り

「お〜お明治、その名〜そ我ら〜が母校、お〜お明治…・・」ん〜ん、いい響きだ!

平成3年度卒

野本 大地

私は、平成2年度農学部卒業の野本大地と申します。生まれも育ちも 群馬県館林市ではありますが、出身高校は有名な諸先輩方(よくも悪くも)が卒業された館林高絞ではなく、明治大学出身で寝業の忍者(昼でも夜でも)と恐れられた、金子博先生率いる西邑楽高校を卒業しました。 大学時代は57kg級で主将を務めさせて頂きました。 私達の同期は6名入学しましたが、そのうち2名は「自分の進む道は他にある!」と、1年後に学校を去りました。残りの4名は無事卒業し、社会の片隅で冷たい風に吹かれながら必死に生活しております。それでは、私以外の残り3名を紹介致します。

まず68kg級の大阪は高石高校出身、浪速レスラー藤原光君です。彼は一見、同級生とは思えないような落ち着きと風格を漂わせ(ちょっとおっさん)、4年生の時にはマネージャーとして活躍してくれました。光ちゃんは人一倍我慢強く、どんなに辛い練習でも弱音は吐きませんでした。彼が一番練習をしたし、田部井監督にも稽古をつけてもらったと思います。また、工学部だったせいもあり、授業には毎日きっちり出席し、 4年で卒業。仕事の関係で鹿児島県に赴任し、3、4年前に何と結婚! 今は温かい家庭をもち、パパとして鹿児島県で頑張っております。 次に74kg級、千葉は八千代松蔭が生んだ種馬、鈴木研吾君の紹介です。 彼は「三度の飯より女性が好き」と言っても過言ではありません。噂で聞いたのですが、松蔭出身の先輩方はほとんどそうだったそうです。彼もまた例外ではなかったわけです。ここだけの話ですが、私が知っているだけでも5〜6人の女性と○○○をしていました。何度寮の電話に「研ちゃんを出して!』と、泣いている女性から電話が来たかわかりません。その都度“居留守”。しまいには後張も、泣いている女性には“居留守と勝手に対応していました。私も研吾君とはよく飲みに出かけましたが、必ず美味しいところは彼のものでした。とにかく口がうまい!まっ、これも松蔭の伝統ですかね!? 卒業後、彼は一度銀行に就職しましたが、現在は佐倉市役所に勤務しております。 最後に群馬の伝統校、館林高出身で100kg以上級の仁田昭彦君の登場です。

彼とは高校時代から合同練習等で顔を合わせていたのでよく知っていました。体の割に気持ちが優しいので、よく他人に流されていました。しかし、レスリングセンスは抜群だったと思います。デブのくせ 最 に宙返りはできるし、倒立歩行はできるし、本当にゴム輸みたいな体でした。それに、何と言っても歌がうまい! スナックで飲んでいても、他人が入れたカラオケを平気で歌っていました。しかも、入れた本人よりもうまい! だからよくもめていました。また、酒にはよく飲まれていました。大きな声では言えないのですが、私が聞いた話だと、館林高校〜明治大学を卒業された諸先輩方は、あまりお酒の飲み方が上品ではないと聞いていましたので、彼もまた館林~明治の伝統をきっちり受け継いでいる一人だと確信しております。近くには松本先輩、大槻守先輩、ちょっと上の先輩方では田部井監督、金子博先生、森田大先生等、皆さんそれぞれ館林~明治を代表されていると思います。 在学中よくも悪くもいろいろな事を経験し、いろいろな方と出会う事ができました。この経験、出会いは、私にとって一生の宝であり、誇りです。 最後に、70年史を作成されている実行委員の皆様、大変ご苦労様です。 平成3年度卒業生を代表してお礼を申し上げます。