小倉国男先輩との出逢い
昭和30年卒
藤木善次
記念史発行おめでとうございます。
部史発行に際し、浜本実行委員長より依頼を受け、浅学非才の私が諸先輩方を差し置いての寄稿、申し訳ございませんがお許しください。
私と小倉国男先輩との出逢いは、若き高校2年の5月頃。明治大学卒業、岐阜県庁勤務、全日本ミドル級チャンピオンという肩書きをもった、肩からいきなり顔のある首のない「ついたて」のような大男、これが小倉先輩であったように思えます。堀口先輩とお揃いで道場に来られたのが最初でした。
その頃のレスリング道場は、柔道の畳の上に帆布地を貼っての練習で擦り傷が絶えず、皆いつもどこかに傷を作っていました。そのキャンバス地の血染まったマットの上で、勤務を終えた小倉先輩が練習をつけるのですが、「力」の加減もなく畳に叩きつけられる毎日でした。
時効なので書いてみますが、ある時先輩の下の「シンボル」に包帯がしてありました。強い練習による毛切れだったのだろうと考えていましたが、その真偽のほどを、改めてご本人に聞いてみたい思いがします。
高校を終えて自分も明大に進み、4年間がアッと言う間に過ぎました。帰省時には昔ながらに先輩と一緒に練習したり一杯飲んだ事もありましたが、社会人として国体に優勝するほど強い人であり、それでいてやさ しさもあるという、我々には真似のできない人格者でした。
岐阜合宿も堀口先輩、林先輩、また協会の方々にお骨折りいただいて無事に終えることができ、観光面でも「鵜飼見物」「電気風呂」「二重うな丼」等々、数々の楽しい思い出があります。
昨年7月、中津川の小倉宅を訪問して泊まり、いろいろな話ができました。ライバルであった「中大」池田さんの死去、その他新聞の切り抜きを見ながらの思い出話で、夜半まで友人のように語らいました。初めての出逢いから47年になりますが、これからも末永く60年、70年と語らいの時間がもてるように希望しております。
最後に、今後とも皆々様の健康とレスリング部の益々の発展を祈念して、失礼いたします。
〈昭和29年度最上級生部員〉
楓尚代史(フライ級)
藤島敏夫(フライ級)
峯村 厳(バンタム級)
永瀬 信(フェザー級)
小倉国男(ミドル級)